続・ほのぼののなかみ

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「これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝」 赤塚不二夫

 

先日、数年前に赤塚不二夫会館で買ったポスターのことをブログに書こうと思いネットで調べている中で「これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝」を読みたくなり購入して読みました。

 

冒頭に『おやじとかあちゃんに感謝のココロを捧げるのだ』とあります。

 

父親、母親、家族とのエピソードが多く書かれています。自分の話ではなく、自分のまわりにいた人たちを含めた自分たちの話です。戦中、戦後を生きる中で苦労も多く、父親、母親、兄弟家族みんな揃って過ごした時間はをそれほど多くなかったそうです。赤塚漫画のモチーフになったもののエピソードであったり、赤塚漫画からは知ることができなかった赤塚藤雄を取り巻く世界を知ることができました。

 

この本の中に「愛」という言葉が多く登場した印象はありません。ゼロではないかもしれませんがあまりなかったような気がします。ただ、「愛」という言葉では表現されていない「愛」がすごく多くあったように感じます。

 

 

強く印象に残ったところを以下、本文から一部引用させていただきます。戦後5年程経ってようやく一家5人で暮らせることになった時のエピソードです。

 

 

かあちゃんが家に帰ったことで、子供の顔から一時失われていた子供らしい顔がもどった。それを一番喜んだのはおやじだった。

「母親は子供にとって灯火だ。女房が帰って、狭いお寺の部屋が急に明るくなった。一時子供らしい無邪気さをなくしていた子供たちが、それをとりもどしてくれた。それが何より嬉しい」

おやじが知人にそんなことを漏らしているのを聞いたことがある。満州時代も大和郡山時代も、ぼくは悪いことをしてはかあちゃんにひっぱたかれていた。でも、かあちゃんなしでは夜も日も明けない子だったから、かあちゃんと一緒に暮らせるようになって世界がバラ色に変わったような感じだった。〉

[これでいいのだ 赤塚不二夫自叙伝 赤塚不二夫著 147~148頁]